雛妓


岡本かの子

小説家、歌人、仏教研究家。本名、岡本(旧姓、大貫)カノ。明治22年3月1日~昭和14年2月18日。東京赤坂青山南町の大貫家の別荘に生まれる。大貫家は神奈川県の三百年来の大地主。明治39年、与謝野晶子に師事し、雑誌「明星」などに短歌を発表しはじめる。明治43年、漫画家の岡本一平と結婚し、翌年、後に芸術家として大成する太郎を出産する。昭和4年から7年にかけての渡欧を機に小説家へ転進し、芥川龍之介との交流を描いた「鶴は病みき」(昭和11)により文壇に登場。昭和12年、母性愛を昇華した「母子叙情」により文壇的地位を確立し、その後も精力的に文学活動を続け、豊穣華麗な文体による作品を多く発表した。また、小説以外にも大乗仏教に関する研究、エッセイを多く発表し、独自の生命哲学を展開した。昭和14年2月18日、脳溢血により死去。享年49 歳。代表作は「母子叙情」、「老妓抄」、「東海道五十三次」、「家霊」、「雛妓」など。

 なに事も夢のようである。わたくしはスピードののろい田舎の自動車で街道筋を送られ、眼にまぼろし[#「まぼろし」に傍点]の都大路に入った。わが家の玄関へ帰ったのは春のたそがれ近くである。花に匂(にお)いもない黄楊(つげ)の枝が触れている呼鈴を力なく押す。  
老婢(ろうひ)が出て来て桟の多い硝子戸(ガラスど)を開けた。わたくしはそれとすれ違いさま、いつもならば踏石の上にのって、催促がましく吾妻下駄(あずまげた)をかんかんと踏み鳴らし、二階に向って「帰ってよ」と声をかけるのである。  
すると二階にいる主人の逸作は、画筆を擱(お)くか、うたた寝の夢を掻(か)きのけるかして、急いで出迎えて呉(く)れるのである。「無事に帰って来たか、よしよし」  
この主人に対する出迎えの要求は子供っぽく、また、失礼な所作なのではあるまいか。わたくしはときどきそれを考えないことはない。しかし、こうして貰わないと、わたくしはほんとに家へ帰りついた気がしないのである。わが家がわが家のあたたかい肌身にならない。